今日は大鹿靖明さんの『メルトダウン』についてです。
・福島第一原発事故って結局どんな事故だったんだっけ?
・福島第一原発って何号機が爆発したんだっけ?
・メルトダウンってなんなんだっけ?
と、福島第一原発の事故について改めてちゃんと理解したいというあなたにおすすめの一冊です。
3月11日午後2時46分
2011年3月11日金曜日午後2時46分、マグニチュード9.0という世界最大級の地震が東日本を襲いました。
現場の対応については色んな意見がありますが、一歩間違っていたら放射能がもっともっと撒き散らされて、関東一辺は住めない地域になっていた可能性もありました。
最悪の事態を想定して、関東3000万人の避難計画も実際に進められていました。
地震が起き、津波が襲った福島第一原発では一体何が起こっていたのでしょうか?
メルトダウン目次
第1部 悪夢の1週間
第1章 3月11日午後2時46分
第2章 全電源喪失
第3章 放射能放出
第4章 原発爆発
第5章 日本崩壊の瀬戸際
第6章 まだそこにある危機
第2部 覇者の救済
第7章 緊急融資
第8章 救済スキーム
第9章 潰された自由化
第10章 インナーの攻防
第3部 電力闘争
第11章 仕組まれた原発停止
第12章 サミット深夜の激論
第13章 菅降ろし
第14章 政権崩壊
福島第一原発事故の概要
3月11日(金) 14:46 東北地方太平洋沖地震発生
3月12日(土) 15:36 1号機水素爆発
3月14日(月) 11:00 3号機水素爆発
3月15日(火) 06:10 4号機水素爆発
地震の影響で高さ14mを超える津波が原子力発電所を直撃。
非常用電源を含む全電源を焼失した事により、原子炉を冷やす機能を失い、高温になった原子炉が次々と爆発を起こします。
3つの原発が爆発しましたが、2号機が爆発していたらとんでもない事になっていました。
原発の圧力を下げるために被ばく線量の高い現場に飛び込んだ決死隊。
現場で戦う電力マンのおかげで、原発の被害は最小限に抑えられました。
原発の大爆発を防ぐために最後まで現場に残って戦った50人の事を海外のメディアはFukushima50と名付けて称えました。
映画にもなっているので、是非ご覧ください!
まとめ
この本では
原因企業である東電の経営陣たち
責任官庁である経産省の官僚たち
原子力安全委員会や保安院の原発専門家たち
東電に2兆円も貸しながら経営が危うくなると債権保全に必死な銀行家たち
未曽有の国難にもかかわらず、政争に明け暮れた政治家たち
とにもかくにも原子炉を冷やさないといけないため、海水注入を行った現場と、安全性が確実ではないので海水注入を止めるように指示を出した菅直人総理大臣。
誰もが初めての体験の中、誰がどのような発言をして、どのような行動をとったのかが、実名で赤裸々に描かれています。
福島第一原発の事故はチェルノブイリに並ぶ、国際原子力事象評価尺度で最悪の「レベル7」に引き上げられました。
大気中に大量の放射性物質を撒き散らし、半径30km、約47万人の人が避難する事になりました。
大変な事故ではありましたが、現場の人たちは国を守るために命をかけて本当に死ぬ覚悟で戦いました。
そんな現場のみなさんのおかげで、10年経った今でも、僕たちは関東に住み、仕事をしてご飯を食べ、普通の暮らしをする事ができているのです。
事故の記憶はどんどん風化していきますが、そのことだけは忘れてはいけないなと感じました。
今日のあなたへの質問
「あなたが現場にいたら、命をかけて国を守る事ができますか?」
少しでも参考になったら嬉しいです。
それでは今日もご機嫌な一日を!
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